秦 郁彦氏 「虚構と真実の狭間に揺れる慰安婦問題」 レポート 続き
「しかしねえ、大江氏に限らずいわゆる反日の人たちはもうぜんぜん議論には応じてくれなくなってしまいましたね。
そのころ吉見義明氏のやっていた戦争責任センターというのがあって、この人たちは韓国・中国へ行って被害者を
探してくるんですけど、私が驚いたのはこのね、被害者を現地まで行って探してくる、というね、まずそこに驚いた。」
「この中に高木弁護士という人がいて、彼は韓国まで行って当時慰安婦だった、という人の第1号を
見つけてくるんだけど、これが実はキーセンハウス、日本で言うところの遊郭みたいなところの人で、
まあ当時の朝日新聞が特に取り上げて報道もしなかったんですね。」
で、私は『高木君、あんなんじゃ駄目だよ~、もっといい玉を見つけてこないと』なんて話をして、
すると彼は『分かりました、見つけてきます』と、で、『秦さん、今度は大丈夫です、ばっちりの人見つけました』
なんて言うもんだから、こっちも期待して話を聞いてみると今度の3人もやっぱりどっか身の上話がおかしいんですね。」
「『慰安婦の生首を煮たスープを食べさせられた』とか、そんなおどろおどろしい話ばかりで、
ちょっと考えてみれば分かるんですが、慰安婦というのは、慰安所を経営してる人間から見れば商売道具なんですよ、
なんで商売道具を傷つけなきゃいけないんだと、ね。そりゃ逃げ出さないように鞭で叩いたり脅したりというのは
あったかもしれないけど、何にしたってそりゃ、わざわざ殺したりというのはあまりにもおかしい。」
「この人たちは、韓国にある『ナヌムの家』という所から来て、アメリカ下院の公聴会というところで
3人ほど証言したりしているわけなんですが、実はアメリカ全土をこうやって、巡業して話をして回っていたりするんです。
これ、ちょっとお金にはならないんじゃないか、とも思うんですけど、結構なんとかなるらしいですね。
篤志家が結構お金を出したりしてくれるので。」
「で、アメリカの公聴会での彼女たちの話を聞くと『親と喧嘩して友達と家を出て行った、
そしたら知らない男の人が赤い靴と服を買ってくれたので、私はこの人についていこうと決めた』
なんていう話をするんですよ。これ、ただの家出ですよ。
ところが、同じ人が日本で福島瑞穂弁護士に呼ばれて話なんかしたりすると、
なぜかそこに日本軍の兵士が出てきて彼らにさらわれた、という話になったりするんですね。」
「慰安婦の身の上話と言うと、とかくかわいそうだ、という話になりがちなんですが、
実はまあ、女郎さん、といいますか、そういった仕事をしている女の人の身の上話というのは、
これは相手に合わせて、また相手の喜ぶような相手が聞きたがる話を持ってくることが多いんですね。
またそういうのが上手な人ほど売れっ子といわれたりするわけです。
私も心当たりがまったくないわけでもなかったりして・・・まあそれは余談ですけど、
ともかく、若いまっすぐな学生さんとかはそういうのにころっと騙されちゃう。」
「女工哀史、という本がありまして、これは『ああ野麦峠』という映画にもなりましたが、
これは当時製糸工場で働いていた若い娘さんたちが、いかに悲惨な境遇に置かれているか、
田舎から出てきて工場で体を壊したり肺病を患ったり、本来そういう話だったんですが、
いま生き残っている当時の娘さんたちに話を聞いてみると、みんな「楽しかった」というんですね。
というのは、当時の女工さんたちの中でも、手先が器用で質の高い生糸を作る娘さんは、
それこそ「百円工女」とか呼ばれて故郷に家を建てたりする、それくらい稼いでいた。
もちろん、中には体を壊したりお金も稼げないまま故郷に帰るしかなかった娘さんたちもいるんですが、
そういうのは皆既に亡くなってしまっていたりするので。」
「ビルマのラングーンに、当時すごく売れっ子だった慰安婦というのがいて、この人が実は下関で当時の貯金
2万6千円を降ろす、といっても現在のお金で2万6千円なんて、もらっても仕方ないですから、
つまりは今のお金で当時の2万6千円に当たる金額、というのをを求めて訴訟を起こしていたんですけど、
実はそれで当時慰安婦というのがとても稼いでいた、というのが分かった。
この人が当時稼いでいた金額、というのは、それこそ兵士でいえば将官、それも陸軍の大将クラス位
稼いでいたのが分かったんです。とはいえ、訴訟は負けてしまいました。これは仕方ない。
そんなことを言ったら誰だって切りが無いんです」
「最後に私の現在のところの最新の研究の結果を発表しておくと・・・・まず当時における慰安婦の数ですが、
これはアメリカ下院での決議では20万、とされていますが、その実数はおおよそ1万数千から2万くらいだろう、と。
そのうち民族別で見てその比率は4:3:2:1、これは4割が日本人の慰安婦で3割が現地の女の人、2割が
朝鮮半島の慰安婦で、残りの1割がその他。実際日本人の慰安婦も当時いっぱいいたはずなんですが、
関係者に聞くと「日本人の慰安婦なんて話題にもならない」と言う人もいるんですね。」
「じゃあ当時の慰安婦だった人に、『なんで当時の話をしないんですか、お金ももらえますよ』と聞いてみると、
『たった200万ぽっちでマスコミに人生を玩具にされたんじゃたまらない、2千万もらえるなら考えてもいい』と、
そんな話をしたりする人もいたりするわけです。この人たちはさっき言った、当時稼いでいた人たちですね、
当時故郷に家を建てたりもしたりしている。」
「またねえ、『慰安婦には当時移動の自由が無かった』なんて事を言う人がいるわけですが、現地の前線は
トラのいるジャングルだったり、そんなところですよ? そんな状況の所で移動の自由とかいってみてもねえ・・・
これはどうしようもない」
「ともかく、日本軍による組織的な強制連行はなかった。これは十数年探してきても、いまだにまともな証拠や
そういった話が見つからない、そもそも新聞の広告でも慰安婦はいくらでも見つかるんですから、
わざわざ現地の住民感情を悪くしてまで無理やり連れてくる、というのはどうもこれは非常に考えにくいわけです。」
「結局、慰安婦というものは、良かったとは言わないけれども、悪かった、ともいえない、
要は平時における遊郭と、同じようなものだったんだろう、と」
「当時慰安婦だった人たちがどれくらい現地から帰ってきたのか、というとこれは大体95%くらいは生還しています。
これは当時の赤十字の看護婦さんの死亡率が4%くらいだったので、大体同じくらいの割合ですね。
実際、当時の日本軍は結構フェミニストな人が多い軍隊だったんでしょうね、現地が戦場になると
まっさきに女の人を逃がしたりしている。戦場でですよ。そんな軍隊が当時一体どれだけあったか・・・」
「また、生きて帰ってきた慰安婦の戦後の生活の援助ですけど、これは案外結構したたかなものでして、
なかには(援助の)5重取り、6重取りなんてことをやっている人もいる。
これはまず日本からの援助、そしてアジア女性基金、韓国での基金、慈善団体からの援助、アメリカでの訴訟など。」
「これにはちょっとした裏話があって、韓国で慰安婦に基金をつくってお金を出したとき、アジア女性基金に
お金を受け取った人の照会が韓国からあった。当然、2重に援助をもらわないようにするための措置だったんですが、
これで誰が女性基金からお金をもらったのか分かっちゃった。そうしたら韓国でお金を受け取った
慰安婦へのバッシングがはじまったので、以後女性基金は照会に応じなくなったそうです。」
「またですね、慰安婦というと日本人と朝鮮人の慰安婦についてはよく知られているんですが、実はまだ中国人の
慰安婦、というのは、あまり世の中に知られていない、つまりまだ研究の進んでいないジャンルなわけなんですが、
実は上海でこの中国人の慰安婦の研究をしている第一人者だという人に、会って話を聞いてみたんですよ。」
「すると、その人は『最新の研究では中国には20万の慰安婦がいた』って言うんですよ。それでですね、
私は慰安婦というのはこれは大体一晩で一人どの位お相手をするのか、これが大体5人位だと
最新の研究では分かっている。20万人の慰安婦が一人で5人を相手するわけですから、当時大陸に
出征していた兵士が、一番多いときで80万人位、まあ100万だとしてもですよ、それらの兵隊さんたちは
大陸に行って戦争もやらずに慰安所にばかり通いつめていたのか、ということを私が話ししたら
いや~な顔をされてしまいましてね、『慰安婦の詳しい研究はまだこれからなので・・・』と、そんな話ばかり、
こう嫌そうな顔をして言うんですよ。あれから私はこの研究者には会っていませんが、
彼は慰安婦の人数のことを聞かれるとこういや~な顔をするそうですね。」
「ともかく、怪しげな話にあったときはまずは疑ってみる、まずは疑問を持つことです。
疑ってかかることが出来ないと、相手の話を言うがままに信じこむ事になってしまいますから、
これは非常に恐ろしいことです」
以上のような話でした。


by iza-ryusoo
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